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【告知】西澤健一 協奏曲作品の夕べ

 新型コロナウイルスが世界に打撃を与え始めた2020年5月に完成し、初演が延期されていた『オーボエと弦楽合奏のための協奏曲』、日本とウクライナの国交樹立30周年を記念し、2022年10月にウクライナで初演されるはずだった『2つのヴァイオリンのための協奏曲』、今公演のために書き下ろ...

2020年4月28日火曜日

世の中の呪詛を静かに受け入れながら ―パチンコ屋の話

 ――この語を説きたもう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の五千人等ありて、即ち座より起ちて仏を礼して退けり。所以は如何。この輩は罪の根深重、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。(法華経)
 むかし、僕はパチンコ屋にいた。
 お世辞にもスタイリッシュとは言えないオレンジ色の制服を着て、左耳にはインカムを嵌め、何万というパチンコ玉のカチカチとぶつかり合う音を聴きながら、狭い通路の真ん中に立っていた。どうしてそんなところに立っていたのか。もちろん、お金を稼ぐためだった。
 19歳の頃に書いた曲で初めて賞を取って以来、僕は音楽を書き続けてきた。が、自転車操業は長く続かない。音楽史上最も偉大な作曲家の顔をして、自分を理解しようとしない世間の低俗さを嘆きに嘆いた。が、そんなことをしても腹は膨れない。働くしかなかった。たまたま目にした求人に電話し、はじめて履歴書を書き、はじめて面接を受けたのも、すべて、お金を稼ぐためだった。
 パチンコのことなど何も知らない。当たると玉が出てくるらしい。それくらいのことしか分からない。正直にそう言っても採用してくれるのだから、世界は優しい。しかも研修中の身でありながら、「機械に強そう」というレッテルを貼られ、管理者用の鍵を預かることになった。僕の登用と前後して責任者が不慮の事故に遭い入院したためだ。10年20年と活動しても評価の定まらない作曲界との何という違い。しかし、機械に強いはずの僕はタイムカードの押し方を知らなかった。

 新しい環境で生活するには言語を覚えることである。保留、掛留、倚音、転調、V度調属九。そんな言葉はもう何の役にも立たない。必要なのは、確変、時短、等価交換、ドル箱、ゴト師、これらの言葉だ。それから、どんなに物珍しい風習を見ても驚かないこと。新台に入れ替えた朝には、どこからか見たことのない媼がやってきて、店内の床に小豆や大豆を黙々と撒いていく。節分と同じく、一種の験担ぎなのだろう。撒かれた豆は開店までに掃除しなければならない。
 朝の掃除が終わる頃には、その地域に住まう者たちが続々と店の前に並びはじめる。おはようございますと挨拶しながらひとりひとりの整理券を確認する。が、誰もが素直に応じてくれるとは限らない。日本人男性の名前としか解釈できない会員カードを「これ、わたしの名前よ」と差し出してくるフィリピン人妻もいれば、「おめえ、あたしの名前も知らねえのか?」と凄んでくる婆もいる。「なんだ新入りか。店長に訊いてこい。」…彼女は影で野村沙知代とあだ名されていた。

 ――私には名刺もない、と西村は思った。不良少年の仲間では、自分の情人を持たないことは、その男の劣性を意味する。成年に達して名刺を持たない迂闊さは、おそらく、その人間の決定的な貧困を意味するのだろう。(『憂鬱なる党派』高橋和巳)

 客が席に着くと、当たり始めるまでしばらく暇だ。店が違えば風景も違うのだろうが、僕の勤めた埼玉の小さな店は少しうるさい養老院のようなものだった。大当たりに興奮してコーヒーをこぼす老人。カネを使い切ったのに気付かず死んだように空打ちし続ける老人。ものの一時間と経たない間に、野村沙知代は脱いだ靴を右手に握って「こんな台なんざブッ壊してやろうかこの野郎!」と、台の中の八代亜紀に向かって叫び始める。
 スロットコーナーではひとりのマダムが黙々と打ち続けている。鋭角的で小さな顔に華奢な身体、只者ではない服装のセンス、少し鼻にかかった声、鳥の巣のような髪型、時折りブルブルと振られる頭。常連の彼女は僕の大学時代の恩師と瓜二つだった。電卓片手にバルトークを分析しているはずの人が、咥えタバコの灰をぼろぼろと床に落としながらスロットを打ち続けている。ビッグ・ボーナスを引いたときの彼女の満面の笑みは口角の上がり方まで師匠そっくりで、妙な気分だった。

 02年の日韓共催サッカー・ワールドカップ以降、にわかに、我が国では「嫌韓」という潮流が生まれようとしていた。当時は韓国のほうが歴史修正主義だったので、首脳たちの珍妙な発言をあげつらうのは簡単だった。市民の間ではパチンコが槍玉に挙げられた。朝鮮人の経営者たちが日本人からむしり取って国に上納しているのだろう、という噂が流れ始めた。ギャンブル依存症、それに伴う多重債務、警察の天下り、様々な社会問題も提起され始めた。
 日本人のパチンコ店経営者が彼らを悪し様に言うのは、理解できる。同じ商圏内でシノギを削ってきた間柄だから。僕の勤めた店の店主は北朝鮮系の人のようだった。時折り、事務所にはハングル文字で書かれたファックスが届いていたし、店長と専務が口喧嘩するときも日本語ではなかった。
 ただ、巷の噂とはかなり様子が異なっていたのは、彼らは人が良すぎて商売が下手だったところだ。常連客に悪い台を勧めるということが本能的にできないようだった。そうして、客が一人しかいないという状況に限って高設定の台に座られる。逆の場合もある。我らが野村沙知代は低設定の台に座ったときだけどういうわけか当たり続ける。ギャンブルという商売は経営するのも博打のようだ。事務所で頭を抱える釘師の姿をよく見かけた。給料が分割で支払われるのもしばしばだった。
 
 台の入れ替えは営業時間を終えた深夜に行われる。数十台の大規模なリニューアルともなると、アルバイトが全員揃ってこれを行う。パチンコ台は20kg、スロット台は30kgもある。それら新しい台を、ひとつひとつ手作業で入れ替えていく。なかなかの重労働なのだ。
 金属臭く、黒く煤けた手を洗いながら、制服を脱ぐ。アルバイトたちは極貧のバンドマン、売れない芸人、役者志望、漫画家志望、他に働くところのないシングルマザー、性格をこじらせた作曲家の顔に戻る。およそ外では交わり合う機会のないだろう面々が、世の中に横溢する「自己責任」の呪詛を静かに受け入れながら、24時間営業の牛丼屋に頭を並べた。

 「あのね、千円使ってみたの。」
 「毎度ありがとうございます。」
 「出てこなかったの。なんでかしら?」
 「何ででしょうねえ。」
 「やっぱり千円じゃ出ないのかしら。」
 「千円で出るときもあるんですけどねえ。」
 「美人には釘が厳しいのかしら?」
 
 マンションを経営しているというご婦人を裏口から見送る。いかにも路地裏という小道には昭和臭いおでん屋、商売っ気のない魚屋、おしゃれと名の付く婦人洋品店などが並んでいる。酒屋の店先では年金ぐらしの老人たちがビールケースを椅子にして、太陽の沈まないうちからワンカップを引っ掛けている。僕は心密かに、それを「オープンカフェ」と呼んでいた。

 「ねえねえ、お兄ちゃん、きょうは出てる?」
 「今日はあんまり出てないっぽいんですよ。」
 「お兄ちゃんも大変だろうから、ちょっと打ってってあげるね。」

 旦那がギャンブルでこさえた借金をギャンブルで返した上にマンションまで買ったという信じがたい経歴を持つこのご婦人は、盆も正月も関係なく毎日10万20万というカネを落としていく。珍しく4日ほど来なかったときがあったが、入院していたらしい。とあるアルバイトの子のミスに激昂して、命の次に大事なカネを奪い取るとは何事か、と、僕は彼女の愚痴を1時間近く聞いたこともあった。

 昔の話を懐かしく思い出しているのは、この時代にあって、彼らがどうしているのかが気になったからだ。店の人間とケンカして、会員カードをカウンターのハサミで切り裂いて、翌日からタクシーに乗って別の街のパチンコ屋に毎日通った、などという、どうしてもお金を使いたくて仕方のない、有閑を持て余している老人がいる。閉まってない店があると聞けば、たしかにそこに行くのだろう。それ自体は、もちろん、褒められたことではないが、彼ら彼女らの行動原理は、長らく観察してきた僕には理解できるところがある。僕だって玉で遊ぶ人間だ。パチンコの玉か音符の玉の違いだ。
 そして、その店には、その頃の僕が勤めているかもしれない。極貧のバンドマンが、売れない芸人が、役者志望や漫画家志望、他に働くところのないシングルマザーが、いるかもしれない。買った負けたと一喜一憂する老人たちの世話をして、子供の給食代にしているかもしれない。怖いだろう。この世の中の現状を理解していればいるほど、そうだろう。でも、どうにもならない。世の中の呪詛を静かに受け入れながら、働くしかない。
 
 僕が店を去る前夜、我らが野村沙知代氏と道端でばったり会った。
 「おまえがいなくなったら、あの店、どうなるんやろなあ。」
 と、寂しそうな顔をした。まもなく潰れることになるとは僕も予想していなかった。
 「あたしは口が悪いだけだから、気にするんじゃないよ。」
 それはすでに知っていた。根っからのギャンブラーで気性も荒いが、心の中の奥のほうに乙女心が眠っている、そんな人だ。彼女と会えなくなるのは僕も寂しかった。
 「すみません…。」
 「なにやってんだか知らねえけど、おまえにも人生があるんだろ。頑張れよな。ところでおまえ彼女はいるのか。うちの娘なんか、どうや?」
 
 それだけは丁重にお断りした。

2020年4月14日火曜日

総理動画、そもそもコラボに非ず

 星野源さんの「うちで踊ろう」に安倍総理が乗っかった件。よく燃えてますね。
 とあるジャズ・ピアニスト/作曲家さんによるnoteの記事(『安倍総理の星野源さんコラボは何が問題だったのか / 音楽家からの視点と分析』2020年4月13日)がたいへん良くまとまっていると思います。…が、もう少し単純に、音楽的な話に絞ってみます。

 総理の動画。あれはコラボではないですよね。BGMにしているだけ。

 幸い比較対象がある。岡崎体育と大泉洋。「何もしない」というメソードだけは一緒ですが、まさに雲泥万里、月とスッポン、雪と墨。星野源を上に立てているか、道具に使っているかの違い。星野源の音楽を聴いているか聴いていないかの違い。「耳を使っているか使っていないか」の違い。


 しかも、二人とも「画面にどう映ってるか」がちゃんと計算出来ていますよね。大泉洋に至っては音楽を聴きながら「聴いてない」を演じている。言葉をちょうど邪魔になる部分にかぶせているでしょう。こういうのは直感、センスの問題で、素人が真似しようったってそうそう出来ることじゃない。彼らはそれが出来るから芸能人をやってるんです。こんな高等なテクニックに手を出したらヤケドするのが当たり前。




 では、総理はどうするべきだったのか。正解はこちら。



 場末のカラオケスナックの寒々しいノリでも良いから、タンバリンのひとつでも持っていれば、「だっせ…」とは言われたでしょうけど、少なくともヤケドはしなかった。

 で、40歳過ぎのおっさんとして深く確信することですが、他業種の仕事の難易度に対し想像力の働かない人に仕事のできる人間はひとりもいません。「あ、これ、真似したらあかんやつや」と思えない人に、有能な人間はひとりもいません。

 総理が自分で思いつくとは考えられないので「総理、最近これがナウいんすよ、イケてるんすよ」と進言した勘違い甚だしい取り巻きがいたんでしょう。おそらく岡崎体育や大泉洋のを見て「総理にも出来る!」とか思ったんでしょう。そういう人らに自分の命を預けている現状、生活を握られている現状を考えてみてください。

 「狂ってる」と表現している人いますね。違います。凡庸なだけです。

 総理の動画は控えめに言って死ぬほど不愉快なので、もしも僕が演出家だったら急所めがけて灰皿を投げるくらい不愉快なので、ここにシェアするのは控えておきます。その代わりと言ってはなんですが亀井静香ちゃんの歌をお聴きください。これ、10年ほど前、彼のサイトを開くたびに聴かなきゃいけなかったんです。くっそ下手には違いないんですけど、僕はどうも憎めなくて。


2020年4月12日日曜日

総理の微笑、空白の権力

 米軍の言葉に「Order, Counter-order, and Disorder」というものがあるそうだ。命令を出したあと、それとは反対の命令を出すと、現場は混乱する。新型コロナウイルス感染症(COVID-19)をめぐる我が国の3月以降の対応は、この言葉に尽きると思う。

 例えば学校の休校。2月27日の新型コロナウイルス感染症対策本部の会合で全国の小中高校に3月2日から春休みまでの臨時休校を文科省を押し切る形で安倍晋三総理が要請。これが激しい反発を呼ぶとすぐさま「実際に休校するかは学校や地方自治体の判断に任せる」と態度を改めた。もともと休校は自治体の判断に依るのだから、いたずらに現場を混乱させただけだった。
 我々の業界もそうだ。2月26日に総理からこのような要請があった。「多数の方が集まるような全国的なスポーツ、文化イベント等については、大規模な感染リスクがあることを勘案し、今後2週間は、中止、延期又は規模縮小等の対応を要請することといたします。」これには「全国で一律の自粛要請はせず、地域の感染状況に応じて主催者が判断してほしい(新型コロナウイルス感染症対策専門家会議・3月19日)」という但し書きが付いている。

 いつも自分たちを応援してくれるお客さんたちの健康が心配には違いない。何の法的根拠も無いことに戸惑いつつも、「個別の補償はしない」という言葉に内心憤りつつも、丸々自腹で赤字を被って、なかには億という単位の金額を失いながらも、様々なジャンルの数多くのアーティストたちが政府の「自粛」の「要請」に大人しく従った。
 その代わり我々は強く要望した。自分たちを応援してくれるお客さんたちとは、つまり、常日頃まじめに社会で働く人々である。彼らを助けるためにも、我々が自粛している間に医療態勢、補償の態勢を整えて欲しい。だが今日もなお、感染拡大の収まる気配もなければ、我々のみならず誰の生活も補償されそうにない。466億円かかった恩賜の布マスクが世帯に2枚ずつ下賜されるのみである。我々の断腸の思いは、ものの見事に無駄にされている。

* * *

 あれから1ヶ月が経ち、遅きに失するとは言えようやく、新型インフル等特措法による緊急事態宣言が4月7日に発令された。僕も総理会見を見ていたが、肝心の内容(感傷的な表現も含めて、ある程度、想像できるものだったから)よりも質疑応答での日経記者とのやりとりに目を疑った。「緊急事態宣言の効力は何時を目処に有効になるのか」という質問に対し「…何時?『何時』ですか?えっと、官報に載った段階かな?」と後ろを向き(動画では聞き取りづらいが、おそらくは)官僚がそれに答えたあとの、少しはにかむように笑った反応にだ。
 日本に生きていれば、あの微笑には見覚えがある。身に覚えもある。
 ご存知ないのか、と思った。緊急事態宣言の有効になるタイミングはすなわち都道府県知事の動き始めるタイミングなのだから、責任者が知らないのは大問題である。が、たとえ知らなくても「正式には官報を掲示する時間ですが、少なくとも今夜中にできるよう対処しています」とでも答えてくれたら驚きはしなかっただろう。しかし総理は笑ったのだ。記者会見の場で。これに驚いた。

 僕はある伝聞を思い出していた。政治評論家の森田実氏が書いていたのを読んだことがあるのみで、詳報されているわけではないから事実かどうかは知らないが、2012年、尖閣諸島問題が浮上した頃、野田佳彦前総理が時の温家宝総理に「日本は今後、外交ではなく軍事で問題を解決するつもりか」と問われ、それに対し、野田前総理は誤魔化すように微笑んだというのである。
 これが仮に事実なら、相手が日本人ならば「考えていない」というメッセージを汲み取れるが、中国人には「考えている」というメッセージにしかなりようがない。以降、両国の関係が悪化の一途を辿ったことを思えば、事実でも不思議ではない。

 ――釈迦が蓮の花をひねり、摩訶迦葉ひとり破顔した。
 どうしても言葉に頼ることのできないコミュニケーションというものは確かにある。音楽の人間はそれを肌身で知っている。今日の日本においてもしばしば言葉は省かれる。ただそれは、拈華微笑のように言葉では伝えられないことを伝えようというのではない。言葉にすることを厭うているだけ。怠慢さというよりも、むしろ「分かって当然だ」と思い込む傲慢さによって。そうしてこの10年間、人々は他人の顔色を窺う動作を「空気を読む」と表現し、あまつさえ美徳にすらしてきた。

 総理の微笑。あれはまさに、空気を読んでいる最中の顔だ。

* * *

 「8割おじさん」こと専門家会議の西浦博教授のインタビューに、彼の主張していた「8割」が「7割から8割」へと表現が変更された経緯が語られている。これは大変合点の行くものだった。いったい誰がどのような根拠で言ったことなのか疑問だったが、要するに誰も、総理すらも、決断していない。なんとなく決まっていったということが良くわかる。

不思議なことに「基本再生産数が2.5として、医療機関や性風俗のことを考えると、80%減でないと2週間で減らない」というシミュレーションの資料を作っていたのですが、私の知らないところで諮問委員会の資料の数値が書き換えられていたのです。

 総理は、おそらく人の意見を聞きすぎる人なのだろう。僕の意図が誤解なく伝わるよう譬え話を付け加えるならば、3.11、東電が福島第一原発からの撤退を打診したとき菅直人元首相は激昂したが、これがもし安倍総理なら、そうですか、と受け入れてしまっただろう。総理の郷里、幕末の長州藩主「そうせい候」こと毛利敬親のような意味で「人の意見を聞きすぎる人」である。
 おそらく、総理は総理なりの善意で、専門家会議の言うことと省庁・財界の言うことの中間を採っているのだろう。あちらを立てればこちらが立たずの道理から、それぞれ相違する意見を聞き、調整するという「民主主義」に則って、まあまあここはこれくらいでと妥協をし、妥協させる。2人や3人の話し合いなら別に良いが、これが一億人の住まう国の単位ともなると、あれもこれもと総花的になり、そもそもの目的がわからなくなっていく。
 みんなの意見を聞き、それぞれの良いところを取り入れて、できる範囲のことをできるだけやっているんだ。総理はそう思っていることだろう。本人の意識のなかに、彼への批判者が言うような「独裁」という意識はまったく無いに違いない。むしろ、戦後日本にもうひとりいる非常時の宰相、菅元首相のほうが、私権を一方的に制限する「独裁的」な決断を下してきたとすら言える。
 まこと空気を読む国にふさわしい宰相の御振る舞い。みんな仲良くゆるふわ危機対応。問題は、それでは多くの人間が死ぬのを免れ得ないという恐ろしい未来のあることだ。

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 後藤田正晴が中曽根康弘擁立に際し「ボロ神輿だからこそ担ぐんだ」と答えたというエピソードがあったと記憶するが、いま官邸の神輿に鎮座ましましているのは巨大な空白ではないのか。ボロですらない。空や無の類である。可愛がってもらえさえすれば自分の意見が難なく通るのだから、部下にとって都合の良い上司だろう。誰にとっても都合の良い空白だからこそ(この場合の「誰にとっても」は反対者も含まれている)防衛省日報問題、森友加計問題、桜を見る会問題と様々な不祥事があってもなお、低きに溜まりきった水のように、政局も動かなかったのではないか。
 13年ほど前、参院選で歴史的な惨敗を喫して所信を表明しながら総辞職した彼がなぜ再び戻ってきたのか、長らく疑問だったが、なかなかどうして議会制民主主義とは確かに社会の写し鏡をトップに据えるものなのかと考えると合点が行く。我々は良いシステムを持っている。先人の知恵に感謝しよう。ただし、この世界的な生死に関わる危機に瀕して、いっそう根深い問題を突きつけられているということでもある。我々で撒いた種は我々で刈り取らねばならないのは道理とは言え、あまりに厳しい現実を直視せねばならないその瞬間が、もう目の前に迫っている。

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 以上、ノンポリを決め込むと作品を利用されるリスクがあるという噂を耳にしたので、僕の作品が利用されることは無いとは思いますけど、念のため、自分の立場を改めて記しておきました。僕は総理が官房長官時代、ヒューザー小嶋進会長の証人喚問で彼の名前が出てきたときから「ないわ」と思い続けてきましたことを付け加えておきます。