2018年12月7日金曜日

オペラ 瘋癲老人日記 全二幕


◎オペラ 瘋癲老人日記 全二幕
op.105 Diario di un vecchio pazzo - Opera buffa
原作 谷崎潤一郎
脚本 西澤健一
配役 督助(バリトン)資産家の老人
   颯子(メゾ・ソプラノ)浄吉の妻
   佐々木(ソプラノ)住み込みの看護婦、大阪出身
   春久(テノール)督助の甥
   千代(ソプラノ)督助の妻
   経助(ソプラノ・子役)督助の孫、小学1年生
   浄吉(俳優)督助の長男
   陸子(女優)督助の長女
作曲年月 2018年8月~10月
演奏時間 80分(40,40)
楽器編成 オーボエ、ファゴット、打楽器(ヴィブラフォン、テンプルブロック2、トムトム2、タンバリン、マラカス、ヴィブラスラップ、拍子木、レインスティック)、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ピアノ
初演 2018年12月・めぐろパーシモンホール小ホール 岡元敦司(督助)、新宮由理(颯子)、津山恵(佐々木)、横山慎吾(春久)、原千裕(千代)、森晴子(経助)、西村功貴(浄吉)、藤田みか(陸子)、倉田悦子(オーボエ)、柳澤香澄(ファゴット)、塗矢真弥(ヴァイオリン)、神田幸彦(ヴィオラ)、岡崎健太郎(チェロ)、米丸咲季子(ピアノ)、新野将之(打楽器)、西澤健一(指揮)

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 ◆ごあいさつ

 昨年以来、我々の母国語を用いて新しいオペラを作り上演するという営みは、私どもにとって非常に大きな重心を占める仕事となりつつあります。字幕を用意しなくても、異国の歴史の予習を強いなくても、そのまま、直接、客席の皆様の心のやわらかい部分に通じることの悦楽に味をしめてしまいました。そうした私どものわがままも日頃の皆様の多大なるご支援あってこそと、ここに改めて心からの感謝を申し上げます。
 今日披露いたします新作『瘋癲老人日記』は、喜劇です。昨年上演した『卍』と同じく谷崎潤一郎の小説を題材に採っております。皆様には神様か仏様にでもなったような気持ちで腰掛けていただき、目の前に現れる老人の姿をただただ眺めてくだされば、それだけで充分お楽しみ頂ける内容となりました。が、よりいっそうお楽しみいただくための手がかりとして、いくつかの事柄をここに記しておこうと思います。


 『瘋癲老人日記』は死とエロティシズムの二元論の壮絶な対決である。とは、三島由紀夫の指摘です。死と性を考えるとは、そのまま生を考えることに繋がります。いくらでも重々しく書けるモチーフと言えますが、谷崎本人の筆致もそうであるように、一種の諧謔のなかでこれらを捉えてみたいと考えました。
 擬似的な日記体の原作を舞台作品化する上で、いくつもの魅力的な場面を省く必要に迫られました。遠目には見えない事象、セットの転換の難しい事象などです。原作の世界を愛する一人として何より心苦しい作業でしたが、主人公・督助の部屋で物語のほとんどを進めることとし、「死と性を諧謔のなかに捉える」という一点に絞って執筆しました。
 死と性を諧謔のなかに捉えるということ。オペラの世界には、この世を去った人物から劇が始まるプッチーニの『ジャンニ・スキッキ』、主人公が劇の途中でこの世を去るモーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』およびヤナーチェクの『利口な女狐の物語』という先例があります。これらの先達の偉大な仕事から多くの智慧を学びました。

 原作冒頭で触れられる歌舞伎『助六』と地唄『残月』を尊重しました。また、昭和三十年代の空気を表現する試みとして、颯子の性格をドドンパのリズムで表現しました。あの頃のラテン歌謡のミュージシャンたちがフィリピンの楽団を参考に編み出した純国産ラテン・リズム(?)で、アイ・ジョージが名付け、渡辺マリや美空ひばりが歌い一世風靡しました。流行歌や俗謡の芸術音楽上での展開という古くから数多ある例に倣ったものです。

 私ひとりの責任で出来るのは脚本と音楽を書くところまでです。そこから先は、演者たちの個性と努力によって、紙の上の観念上の督助と颯子が、肉がつき血の通った督助と颯子へと変貌していきます。稽古を重ねるなかで、颯子に踏まれることによって生命の輝きを増していく督助晩年の姿が、ありありと彫塑されていきました。願わくは、この作品が、己の本有に立ち返り寿命を全うしていくすべての人々への讃歌となりますように。

2018年12月7日
西澤健一

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 ◆あらすじ

 ◎第一幕
 【第一場】歌舞伎「助六」を見終え、新宿伊勢丹店内を歩く督助夫妻、浄吉夫妻。目当てのものが見つからない上に神経痛が痛む督助、小言を言う千代をよそに、ブランド物のバッグに目を奪われた颯子は…
 【第二場】書斎兼寝室。地唄「斬月」を歌いながら自分の葬式を夢想する督助。督助の血圧を測る住み込みの看護婦・佐々木。千代に連れられ長女・陸子が入り用の金を借りに来る。が、督助は娘の頼みを受け付けようとしない。
 【第三場】督助の大声を聞きつけた颯子、千代と陸子を嗜める。家の権力を握りはじめた颯子の姿に満足する督助は、ふとした話の流れから颯子の足を触る機会を得る。が、調子に乗ったあまり平手打ちを食らってしまう。そこに督助の甥っ子、春久がやってきて…
 【第四場】春久と颯子のただならぬ仲を感じて心中穏やかでない督助。浄吉には黙っておくと颯子に告げるが、颯子はそれをかわして、督助を風呂場へと誘う。思う存分颯子の足を愛でた督助に、颯子はとある要求を突きつける。

 ◎第二幕
 【第一場】日記を書く督助。母の夢を見たこと、颯子に恋をしていること、死んだ後も颯子に踏まれていたい欲望を、密かに日記に綴っていく。
 【第二場】千代と陸子が知人から「面白い話」を聞き、督助に報告しに来る。いわく、後楽園ホールの客席に春久と颯子がいたこと。颯子の指には光輝くものがあったこと。問い詰める千代と陸子、逆上する督助。夫婦喧嘩と親子喧嘩と姉弟喧嘩の果てに…
 【第三場】佐々木に付き添われしょげている督助の元に、浄吉と春久の子、経助がこっそりと見舞いに来る。小さな子どもの優しい言葉に涙が止まらなくなる督助。経助に続いて浄吉も見舞いに来る。自分の息子の言葉に心の動く督助。
 【第四場】自室に颯子を呼んだ督助、足を拓本に採りたいと願い出る。タンポに朱墨を含ませ颯子の足を叩く督助は、興奮のあまり血圧が上がり過ぎ、ついに痙攣に襲われ…

 ◎原作からの主な変更点

 ◇貨幣価値は現在のものを適用。
 ◇名前の記載の無い督助夫人の名を「千代」と定める。谷崎の最初の妻の名から。
 ◇次女・五子を省き、督助の娘は陸子ひとりに統合。
 ◇佐々木の出身地を埼玉から大阪に変更。原作にある関西の香りを温存する試みとして。
 ◇本所割下水(現・墨田区)出身ということを鑑み、督助と千代の台詞に江戸言葉の発音を適用。颯子や春久などは現代の標準語に。先述の通り、佐々木は大阪言葉に変更。