2017年2月11日土曜日

人間は自分の聴覚を否定する

 しばしば、作曲家はドSです。僕も身に覚えがあります。
 それはどう考えてもしんどい、という音を「きみ、やってごらん」と、ついつい書いてしまうことがあります。わかってないまま書いてはいけないものですが、ちゃんと訓練された作曲家の場合、悪気があるという意味で悪気はないのです。そこで音楽的にどういう化学反応が起きるか、のほうが圧倒的に大事なので、一笑いのために上島竜兵を熱湯風呂に突き落とすようなことは、当然します。

 ところで、面白い記事を読みました。

 (文春オンライン 2/8(水) 11:00配信)

 特に興味深かった箇所は、「しかも人間は自分の味覚を否定することができる動物なので『こんなに高級なのにおいしいと思わないのは自分の味覚が間違っている』と思って、霜降りこそおいしいと思おうとしている」の部分。

 これを読んで僕は声楽の友人の話を思い出しました。
 いわく、とあるオペラの日本公演で、とある著名な外タレのテナーがいちばん高くて良いところを歌わなかった。歌って外したなら仕方ないにしても、歌わなかった。それなのに客席からブラボーが飛んだ、という話。ここぞという場面で逃げた奴にブラボーとは何事か、と、友人は憤懣やるかたないという表情でお怒りでした。
 熱湯風呂を前にして豆絞りも被らない、「押すなよ」も言わない、飛び込まない、何のリアクションも取らない上島竜兵を褒め称えてはいけません。僕の友人の怒りはもっともです。歌わなかったのは誰の耳にも明らかなのだから、ブラボーを飛ばした聴き手は自分の聴覚を否定したわけですが、いったい、なにがそうさせたのでしょう。チケットが高かったから? 著名な外タレだったから?

 いろいろ言えることはあるのですが、ひとつだけ。
 こういう場合にブラボーが飛ぶと、いちばんつらいのは歌手本人ですよね。舞台に乗っている人は自分自身がいちばんの誰よりも厳しい批判者ですから、空気を読んで触れないであげたほうが、すべってたらそのまま放置するほうが、挽回がききます。「おもろない」と言われたほうがまだ救われます。「すべったのに笑ってもらった」となると、その日のその後はもうぐだぐだでしょう。
 
 贔屓を引き倒しすぎて「もう歌は出しません!」とならないように、お気をつけて。

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