2017年2月28日火曜日

音楽の冗談、の常談(5)IV. Presto

 「交響曲第41番『ジュピター』の最後はケルンの大聖堂のようだ」と、グラズノフは表現した。というくだりが、ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫・訳 中公文庫1986年)のなかにある。いろいろと問題のある本で、これからの世代が手に取る姿がまったく想像できないけれども、『ジュピター』がケルンの大聖堂とは素晴らしい喩えだ。こうした言葉までひっくるめて読まれなくなってしまうのは、あまりに惜しい。

 今でこそ、誰もがモーツァルトと言うけれども、19世紀の音楽家が今日の様子を見たら、どうしてあんな古いものが、と驚くかもしれない。リムスキー=コルサコフにとって百年前のモーツァルトはそうとう古い作家だった。あのシューマンにとっても、五十年前の音楽はそうとう古く、縁のないものだった。演奏機会も多くなく、グラズノフやワーグナーのようにモーツァルトを熱愛する作家も少なかった。彼らからすれば、二百年以上前の音楽を毎晩のように聴き、百年を超える音楽を「現代音楽」と呼んでいるわたしたちの姿のほうが、よほど滑稽に映るかもしれない。

2017年2月27日月曜日

音楽の冗談、の常談(4)III. Adagio cantabile

 不思議な楽章である。第二楽章までを観察してきたわたしたちの耳からすると、形式的なアンバランス感をこの楽章から感じ取ることはないだろう。緩徐楽章としてちょうど良い規模を持っているし、素材も全て揃っていて、過不足ない。たしかに、ヴァイオリンによるカデンツァはおかしなものであることがただちに理解できるし、そもそも余計な自己主張に見えなくはないにしても、ところどころには普段の彼を窺うことすらできる。しかし、この何ともいえない違和感の正体は何なのだろうか。


 この楽章を聴いて真っ先に耳につくのは一小節目、第一ヴァイオリンの旋律にある「ファ♯」だろう。「ミ」から「ソ」に至る経過音の「ファ」に間違って付けられてしまった臨時記号のせいで「『ド』を主音にした『ファ』の旋法(音階の第四音が半音上がった旋法)」の旋律にも聞こえてしまう。しかし、これを直すのはたやすい。臨時記号を外せば良いだけだ。またも「筆者による訂正案」なるものを示しておいたので参照にされたい。ちなみに、二拍目のすぐにある「ファ♯」は刺繍音として正しいものであるから、このシャープを外してはいけない。

2017年2月26日日曜日

音楽の冗談、の常談(3)II. Menuetto

 この楽章の楽譜を手にすると、優雅な舞曲であるはずのメヌエットに「マエストーソ(堂々と)」などという場違いな指示がなされているのが、目に入る。
 第一楽章で彼が示したような冗談は、もはや主題のなかには見出せなくなっており、冒頭の四小節には理論的な間違いも見当たらない。軽やかに演奏すればメヌエットに聴こえるだろう。ただ、彼の指示どおりに、演奏者が堂々と演奏すればするほど、メヌエットの精神からは加速度的に外れ、救いようのない「狩」の音楽になっていく。そうすればするほど5小節目からのホルンがメヌエットの領域を超える。メヌエットにホルン的なモチーフが登場することは珍しくないが、あんまりだ。
 必要に応じて「本来の創作」も混じるようになる。彼はもう、まったく別の領域に踏み込んでいるのである。

 まず注目したいのは9小節目アウフタクトからの4小節。第一ヴァイオリンと第二ヴァイオリン、ヴィオラとバスが、それぞれ3度の関係で動きを共有する。これは第一楽章の展開部ではじめて姿を現した「連続する3度を置いただけのもの」だ。しかも、第一楽章よりいっそう無意味に順次進行を連続させている。どうやら彼も、間違った音符に慣れてきたようだ。そのように書かれているものであるから、当然、和声分析を受け付けない。

2017年2月25日土曜日

音楽の冗談、の常談(2)I. Allegro

「当たり前のことが当たり前のように響く」とモーツァルトを形容する人がいる。それだけ自然で、なめらかな音楽だ。ただ、彼を讃える言葉として「当たり前」が妥当と言えるのかどうか、少し立ち止まって考えたい。

 『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』はシンプルなI度からV度の連結から始まるが、冒頭四小節間は思い切ったユニゾンで書かれている。和声は分散され、リズムが付けられ、I度は上行、V度は下行と性格も分けらる。5小節目からの保続音に乗って「ソファファ」「ラソソ」という上声の特徴的な倚音、トリル、ヴィオラの「ラドファラ」という内声、10小節目はI度の一転で、ふわりと終止する。
 一方の『冗談』もシンプルなI度からV度の連結から始まるが、和声の教科書がおっしゃるとおりの定形に配置され、1小節目でI度を3回鳴らし、2小節目でV度を3回鳴らす。わかりやすいと言えばこれ以上にわかりやすい連結はなく、「当たり前」といえばこれ以上に「当たり前」の表現方法はない。
 両者をもう一度比べよう。かたや彫琢されつくした美。かたや、原材料。
 彼はこの頃、すでに、ラモーが道すじを示した機能和声の方法論から遠く飛躍しており、後の時代にワーグナーが突き詰めることになる瞬間移動の術を手にしていた。他ならぬワーグナーその人が、モーツァルトのバトンを受け継ぎ、彼なりの方法でそれを展開させたのだ。あまり印象にはないかもしれないが、すでに時代遅れのものと認識されていた時代にあって、ワーグナーは熱烈にモーツァルトを愛していた。「当たり前」を嫌うあの人が、「当たり前」を愛するだろうか。

2017年2月23日木曜日

音楽の冗談、の常談(1)はじめに

 モーツァルト作曲、『音楽の冗談』Kv.522。
 1789年の完成。ウィーン古典派音楽芸術の王道中の王道、鉄壁の完成度を誇る彼の作品群のなかで、ひときわ珍妙で、頭を抱える一曲だ。あの素晴らしい弦楽五重奏曲や、代表的なオペラである『ドン・ジョヴァンニ』を作る一方で、二年にも渡る試作を重ね、入念に準備をし、彼は冗談を書いていたのだ。作品目録には6月14日の日付で『Ein Musikalischer Spaß』のタイトルを、自らの手で堂々と書き込んでいる。彼を一流の音楽家として育て上げた教師でもある父レオポルトの死から二週間で完成を見たというのも、なかなかにして冗談である。
 ちなみに同年8月には、ほぼ同規模の作品でありながら『音楽の冗談』とは対極にあるような、彼本来の信条である洗練の極致を象徴する、かの有名な『アイネ・クライネ・ナハトムジークKv.525』が作曲されている。

2017年2月22日水曜日

ババのないババ抜きは面白いと思う?

 誰だって一度くらいはババ抜きで遊んだこともあるでしょう。
 きわめてシンプルなゲームですけど、最後の手持ちのババをいかに相手に押し付けるか、というところに、駆け引きの楽しさが生まれます。一度でもこれで遊んだことのある人なら、わざわざ一枚「これを取れ」と出っ張らせた経験だってあるでしょう。ババのほうを出っ張らせる人もいるし、ババじゃないほうを出っ張らせる人もいる。ババじゃないほうを取られそうになったとき、あえて嬉しそうに口をほころばせ、相手を惑わせる性格の悪い人もいます。
 たった一枚ジョーカーを忍ばせておくだけで種々の人間模様が観察できる。それが、こういったゲームの醍醐味であるわけですが、もしもジョーカーの無い状態でババ抜きをしようものなら、ただ黙々と同じ数字のカードを整理整頓するだけ。ゲームではなく作業。手を使って良いサッカー、足を使って良いハンドボール、カバディと言わなくて良いカバディも、面白くは無さそうです。

2017年2月21日火曜日

音楽理論的に正しい料理教室(10)麻婆豆腐


 いままで勉強してきたまとめとして、麻婆豆腐に挑戦しましょう。
 普段なにげなく食べている麻婆豆腐ですが、これはTSDの機能が最大限に拡張された複雑な料理です。各素材の関係と作り方の時間設計は、中心軸システムとフィボナッチ数列が役に立ちます。

2017年2月20日月曜日

音楽理論的に正しい料理教室(9)カレー


 どうしてお正月のカレーって美味しいのでしょう。
 さて、基礎のしっかりしたオーソドックスなインド風のチキンカレーを作ると、それを主題としていくつもの変奏を用意できます。ますはスリランカ風に変奏してみましょう。

2017年2月19日日曜日

音楽理論的に正しい料理教室(8)マヨネーズ


 写真をご覧ください。
 右のココットに入っているものはマヨネーズですが、左のココットに入っている液体は何でしょうか。両方とも、同じ材料を同じ時間だけ混ぜたものであります。卵黄と酢と塩コショウを混ぜてから、最後に油を入れて攪拌させたものが右のマヨネーズ。油と酢と塩コショウを混ぜてから、最後に卵黄を混ぜたものが左。卵黄味のドレッシングになりました。

2017年2月18日土曜日

音楽理論的に正しい料理教室(7)おでん

 自分に厳しく。
 それはなかなか出来ることではないから、立派なことです。
 しかし、ぬるま湯に浸かり続けるからこその境地というものも、世の中にはあります。こたつの中から数ヶ月トイレ以外に出ない男のような境地。料理だと、おでんです。


2017年2月17日金曜日

音楽理論的に正しい料理教室(6)鶏の唐揚げ

 今日はキムチの素の転調的用法について講義したいと思います。
 瓶に入って売られているキムチの素。野菜を漬けたり、キムチ鍋にしたり。で、だいたい皆さん止まっていることでしょう。しかし、そんなふうにI度とV度を行ったり来たりしているだけでは、とうてい、あのひと瓶を使い切れません。いくらキムチ味が好きでも、毎日では飽きてしまいます。

2017年2月16日木曜日

車に乗れないということは

 僕は車に乗れません。
 免許を持ってないんです。取れる気もしません。のみならず、車を運転するという想像がまったくできない。どうやら死ぬまで東京近郊に住むしかなさそうで、それにはちょっとめげてます。あと、運転免許証で買えるタバコの自販機の存在にも、軽くイラっとしてます。
 車に乗れないということは、「交通手段がひとつないということ」にとどまらないんです。およそ車に乗る人なら当たり前のように入ってくる情報がひとつも入ってこない。認識できないんです。最たるものは車種名で、覚えられないのは当然のこととして、車体の像とまったく結びつかない。あれに乗っている、これに乗っている、という言葉の意味するところの社会的な符牒が読解できない。要するに、なにがなにやらさっぱりわかりません。僕のできる車の判別は、大きい、小さい、赤い、黒い、その程度のもの。なので、ひき逃げ事件を起こす予定のある方は僕の前がねらい目です。
 記憶力は決して悪いほうではないと思ってますが、脳のなかの車に関する回路が壊死しているようです。余談ですが、ボウリングの球をまっすぐ投げる回路も見当たりません。

2017年2月15日水曜日

音楽理論的に正しい料理教室(5)おいもの天ぷら


 お昼にさつまいもを天ぷらにする。
 天ぷらをさっくり揚げるコツは、氷水とか粉の溶き方ではないのです。世の中には天ぷら粉というものがあります。頼りなさい。そうやってなんでも一から自分でやろうとするから、天ぷらも人生も上手く行かないのです。って書いてて、自分の胸がすごい痛かった。

2017年2月14日火曜日

音楽理論的に正しい料理教室(4)煮物

 例えば、服のちいさなほつれなんかを「味」と表現する関西の方をよく見かけます。
 この場合の「あじ」は「↓↑」ではなく「↑↑」で、両方ともにテヌートアクセントがついている。生まれも育ちも東京なのに関西に住むようになって、しまいにこれを言うようになると、ついに魂を売り渡したな、という気持ちになります。揚げ物にレモンを絞れば目を押さえたり。「あっちだとやることが多くて…」やらなきゃいいのに。

2017年2月13日月曜日

【告知】翔べ!私立アレグレット学園/最終話

 泰西の作曲家を現代日本の高校生に擬人化する娯楽小説『翔べ!私立アレグレット学園』最終回の第12話は「えっちん、あるいは生への復帰。の巻」。
 
 あらすじ。アイドルの女の子にハァハァして毎日リプを送っていたら、ブロックされた上にアカウントが凍結されて生きる希望をなくしたえっちん(ベルリオーズ)が「もうオレ死ぬわ」と学校の屋上に立つ。いつものパターンだと察したりっくん(リスト)は慰めるでもなく、「そこの下は茂みだから、もうちょい右に移動するとコンクリになるからさ…」
 歴史上の本人たちのキャラが不必要に濃いので、どんなにいじっても本人たちのほうがダメ人間なので、この2人にはずいぶん遊ばせてもらいました。ぜひお読みいただければと思います。音楽現代3月号は2月15日の発売。

   
 ◇音楽現代2017年3月号
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 前回第11話の告知をうっかりしていました。「バレンタインデー・レジスタンス、の巻」は、サティ君が放送室に篭り妙なBGMに乗せて「チョコ嫌いチョコ嫌い」と840回つぶやく話。2月号は発売中であります。

   
 ◇音楽現代2017年2月号
 (amazonのサイトに移動します)

 『アレグレット学園』は今回で最終回ですが、4月号からはシーズン5ということで、装いをあらたに連載は続けていきます。よろしくどうぞ。

音楽理論的に正しい料理教室(3)とうがんのスープ

 料理が苦手だと自覚している方のほとんどに共通していることは、味をちゃんとつけようとするところです。味なら素材にすでについています。調味料は、文字通り味を調えるものです。肉なら肉の味にすべきであって、めんつゆ味の肉にしてはいけないのです。
 前回の豚丼の豚はサブドミナントと説明しましたが、ご飯の上ではなく別皿に盛れば、豚はトニックです。豚肉はご飯にとって下属調の関係なんですね。ご飯が主調です。主食とも呼ばれています。あくまでご飯を美味しくたべるための肉。肉とご飯を美味しくたべるための、めんつゆです。このTとSとDの力関係と栄養バランスを習得しましょう。

2017年2月12日日曜日

音楽理論的に正しい料理教室(2)豚丼

 料理が苦手だと自覚している方のほとんどに共通していることは、なにかものすごく手をかけないと料理じゃないという暗示にかかっていることです。でも、ピアノをはじめて1ヶ月の3歳の子がラフマ2番を弾くことはできません。まずは豆腐にめんつゆをかける。これで冷奴という一品である。そういう小さなエチュードの積み重ねを大事にしましょう。

 さて、冷奴をアナリーゼすると、豆腐がトニック、めんつゆがドミナントですね。
 めんつゆで豆腐がさらに美味しくなってトニックに解決。上に乗せるねぎや生姜はサブドミナント。素材自体は変わらないので、このドミナントやサブドミナントのバリエーションが多く持てると、レパートリーも自然と増えてきます。冷奴の場合、III度のドミナント的用法で、めんつゆのかわりに塩をふって熱したごま油を、じゅう、とやっても美味しいですよ。お好きな方はパクチーなどをサブドミナントに使うと、さらに奥行きが出るでしょう。

2017年2月11日土曜日

三國可奈子 サクソフォンリサイタル


 サクソフォニストの三國可奈子さんが、僕の『アルト・サキソフォンとピアノのためのソナタ』を5月12日に札幌で演奏してくださいます。故郷でのリサイタルという彼女の大切な一日にこの曲を使ってくれるのが何よりうれしいです。2月11日よりKitara club会員への先行告知、チケット販売は2月18日から。北海道の皆様、ぜひ応援をよろしくお願いします。

人間は自分の聴覚を否定する

 しばしば、作曲家はドSです。僕も身に覚えがあります。
 それはどう考えてもしんどい、という音を「きみ、やってごらん」と、ついつい書いてしまうことがあります。わかってないまま書いてはいけないものですが、ちゃんと訓練された作曲家の場合、悪気があるという意味で悪気はないのです。そこで音楽的にどういう化学反応が起きるか、のほうが圧倒的に大事なので、一笑いのために上島竜兵を熱湯風呂に突き落とすようなことは、当然します。

2017年2月10日金曜日

音楽理論的に正しい料理教室(1)大根のサラダ

 とある打ち上げで料理の話になりました。
 僕の料理好きは僕の仲間内ではみんなの知るところ。とある若い女の子が「わたし料理できないんです」と言っておりました。普段は適当にめんつゆばっかり使っているから、今度教えてください、と。しかしめんつゆが一本もあれば、たいていのことは何でもできるのです。それを今日は、彼女に教えてあげたいと思います。
 
 料理をニガテと自覚している人にほぼ共通して言えることは、みんな、頭からちゃんと作ろうとしすぎていることです。楽譜にフォルテが書いてあったら何デシベルで、ピアノなら何デシベルで。そういうふうにレシピを追っちゃう。みなさんそんなふうに弾いてますか。弾かないでしょう。だからここをまずテキトーにすることが大事なのです。
 めんつゆのように単純な調味料は、材料を通るだけで味が変わるので、これをまず体に叩き込みましょう。同じ「ド・ミ・ソ」でも、ハ長調のI度とヘ長調のV度とト長調のIV度とホ短調のVI度とホ長調の準VI度では意味合いも風味も違いますね。レシピをまるまる暗譜するのではなく、素材の質感をソルフェージュできるようなれば、きっと料理が上手くなります。

作曲家が聴いているのは、原油

 作曲家と演奏家の視点は、どうしても違います。
 音楽家の場合なら、視点ではなく「聴点」と言ったほうが良いのでしょうか。すでに出来上がっている楽譜を毎日見ている人と、何も書かれていない五線紙を毎日見ている人とでは、発想が違って当然です。演奏家という人は解釈が上手いなと思います。上手すぎることもあります。プリクラや「SNOW」で撮るように作曲家像を本人の2割増で盛ってくれると、それはそれでこちらとしてはありがたいんですが、あまりにも深く考えすぎて、考えなくても良いことまで考えてしまって先に進めずにいる若い演奏家などを見かけます。そのままで良いのに、と、思うわけです。

2017年2月9日木曜日

お前の仕事はなんや その3

 美大で勉強してきたあなたは、自宅で絵画教室を開いています。
 この2月、近くに住む小学生の男の子が母親に連れられやってきました。お絵かきが好きというこの子は、しかし初めて見る絵描きの部屋にひどく緊張しています。石膏デッサンなんかやらせた日には今にも泣いちゃいそうです。まずは彼の緊張をほぐそうと、あなたは考えました。
 「ワンピース、描こっか」
 あなたは一枚の裏紙に鉛筆でルフィを描きました。みるみる彼の目が驚きに満ちてきました。すると、そこに知らない番号から一本の電話が入りました。
 「どちらさまですか」
 「集英社です。いまあなたルフィ描きましたね。作品使用料をお支払いください」

2017年2月8日水曜日

お前の仕事はなんや その2

 音楽界隈の収まる気配がないですね。
 「この話って家に泥棒が入って来ない様にセキュリティ頼んだら、友達が遊びに来ても阻止された。みたいな話だよね」と、連載のイラストを描いている緒裡君が言っていました。
 上手いことを言うものだと思いました。

 著作権、著作者人格権のような語については、お詳しい方が解説されているので、ここで繰り返すことはしません。それはJASRACを通さなくても「ある」ものです。信託の契約を結び、財産としての著作権をまるごとあちらにお預けすることで、彼らは彼らの根拠を得ています。よって、作曲者本人といえども自分の作品を自由に使うことはできません。これは「おかしい」ではなく、そういうものです。銀行の中にある定期預金と似たようなものと思えば想像しやすいかもしれません。

2017年2月6日月曜日

お前の仕事はなんや その1

 音楽界隈が例の話題で持ちきりですね。
 生徒が先生の前で弾いたり、先生が生徒の前で弾いたりするのが「公衆」に当たるというのは、すごい話です。もののついでにラブホのなかで裸になっている男女も一人残らず公然わいせつでひっ捕らえてくれれば良いと思います(ただのヒガミ)

 さて、かれこれ10年ほど前のはなし。
 僕の曲が某公営FM局で2回流れたことがありました。放送使用の分配はけっこう割がよい、という風の噂を耳にしていた上に、演奏家個人のぽんぽんが痛まないお金。なんとすばらしいものでしょう。僕は期待に胸を膨らませておりました。
 ところが。放送から1年経ち、2年経ち、3年経ってもまだ入ってこない。しびれを切らした僕は代々木に電話して「どうなっているんでしょう」と訊きました。そうしたら、担当者の方が「ずいぶん古い話ですねー」と、とてもしみじみとした声で感心していらっしゃる。