2017年1月24日火曜日

演奏家のための和声のはなし(10)時間

 だいぶ前だが、最後の琵琶法師という人の演奏する映像を見たことがある。
 肥後琵琶の、盲目の老人で、本当にそれでなければ生きていけなかった人だ。おそらくは彼の家の、緑がかった昭和色の冷蔵庫の前で、こたつに座り、調弦など無いに等しいぶよぶよとした響きに乗せて唸っていた。ひどく格好良かった。社会保障の整った現代社会の方が盲人にとって暮らし良いに決まっているが、彼らの音楽は世界から失われ、代わりに夢を追う若者がそこに座る今日だ。
 それからしばらくして、ウードで弾き語りをするバーレーンの民謡を聴いた折、それが肥後琵琶の老人の謡と非常に似た印象を受けるものだったので、驚いたことがある。

 アラビア語「ウード」とペルシャ語「バルバット」は同じ楽器を指す。似たような文字を使う両者だけれども、一方はセム語、一方は印欧語なので、丸切り違う言語だ。「ウード」に定冠詞アルをつければ「アル・ウード」。ただし会話中では(フランス語のリエゾンの要領で)「ア」が落ちるので「ルード」となる。これがジブラルタル海峡を渡りリュートになったようである。一方の「バルバット」は東に向かい、琵琶に。北に向かってヴィオラになる。ペルシャ語には定冠詞が無い。
 中東の民族舞踊として有名なベリーダンスは、トルコ語でもアラビア語でも「東の踊り」と表現する。彼らにとっても、どうやらあれは異民族のものであったらしい。
 人様の受け売りを借用していくつかの例を挙げたが、国境を跨っても楽器の名に極端な差が見られないのは、それらが急速に伝搬したことを示している。タバコや茶、コーヒーと同じだ。異国・異民族との交流が生じる場面は、外交、貿易、そして宗教。そこには音楽家の出番があるわけだが、この世界が狭いのも、何も今に始まった話ではなさそうだ。
 
 ところで。クラシックを代表する作曲家として、玉ねぎやジャガイモのように同じ棚に並べられるバッハ、モーツァルト、ベートーヴェンという名前。「芸大和声」の序文にも和声教育の基盤としてこの3人の名が挙げられているけれども、彼らの年齢差、世代のギャップに少し目を向けてみたい。
 
 バッハの生没年は1685年〜1750年。日本で言えば元禄の頃だ。モーツァルトは1756年〜1791年。飢饉で知られる天明の頃。ベートーヴェンは1770年〜1827年。文化文政年間に当たる。日本史には疎いだろう音大生のために注釈すると、いずれも江戸時代である。
 ひとくちに江戸時代と言っても260年あまりある。明治維新から今日まで足しても150年ほどだ。元禄と化政の流行には相当の開きがあるが、もう少し今日的な感覚で彼らの年齢差を捉えられるように、ここではモーツァルトが僕と同じく1978年(昭和53年)早生まれだったと仮定してみよう。ちなみに僕は歌舞伎役者の市川海老蔵さん、歌手の安室奈美恵さんと同じ学年だ。
 もし、モーツァルトが1978年生まれだとすると、バッハは1907年(明治40年)生まれ。詩人の中原中也、歌手の淡谷のり子と同い年。四十路を迎える直前に終戦を迎えた世代だ。僕にとっての中原中也は、もちろん、すでに教科書上の人である。かたやベートーヴェンは1992年(平成4年)生まれ。なんと平成生まれだ。アイドルの指原莉乃さん、モデルのトリンドル玲奈さんと同い年。ゆとり教育一期生に当たるという。31歳のモーツァルトを訪ねた彼は、まだ中学生だった。

 モーツァルトとは尊敬し合う間柄だったハイドンの生没年は1732〜1809年。上の例に当てはめればタレントの片岡鶴太郎さん、歌手の松任谷由実さんと同じ1954年(昭和29年)生まれ。24歳も年の差のある親友だ。むしろハイドンの謙虚さ、懐の深さに感心する。
 名だたる後輩たちは、シューベルトが2019年に、シューマンやショパンが2032年に生まれる予定となっている。モーツァルトは2013年に死んでいるはずであるから、当然のことながら、自分を慕ってくれているかわいい後輩たちの音楽を、ひとつも知らない。

 一列に並んでいる作曲家の間には、実はこれくらい世代の差があるということを注意深く観察してもらいたい。今となっては記録された大きい「事件」しかたどることができないけれども、記録されなかった日常のほうが圧倒的に量は多い。そして、作曲家が暮らすのも、そんな「ふつう」の真っ只中だ。「ふつう」の影響は思う以上に大きい。子供の頃のおもちゃが「キン消し」と「ムシキング」くらい違う。「仮面ライダー」と言われてパッと思いつく顔が藤岡弘、と佐藤健くらい違う。そういう経験の違いが人の記憶には階乗で積み重なっている。 

 生活環境は絶えず変化していくので、扱う言葉が日進月歩で変わる。携帯電話など空想科学のように思われていた子供の頃の僕にスマホと言っても理解できるわけがない。言葉が変われば認識が変わる。認識が変われば表現形も変わる。視覚も聴覚も、それに準じて変化していく。天才という人たちだって、生活や時代の環境に無縁ではいられない。もしもバッハに生まれるべき魂が、神様の手違いで元禄の日本に生まれ落ちてしまったら、あの姿の『マタイ受難曲』は書けないだろう。

 この一連の文章では音楽の諸要素のうち、和声、特に5度や3度という音程に重点を当て様々な作曲家の作例を見てきた。すべて同じ音程のバリエーションだ。そのことに注目したい。作家の目線ひとつで同じ音程にも丸切り別の光が当たることに驚きたい。目にも見えず手に掴むこともできない材料を使ってこれだけ多くのものを生み出してきた人間の歴史に感動したい。音楽を制圧するために音楽理論を学ぶのではない。音を使った人の営みをいっそう深く愛するために学んでいる。この文章の主題も、もちろん、そこにある。

 千年の歴史は短くても、人の一生はそれより長いかもしれない。瞬く間に過ぎる30分がある一方で、永遠のように長い1秒もある。「音楽は、人間が現在を存在させる唯一の領域である」とストラヴィンスキーは語った。時間は伸び縮みすることを、一定の早さで流れるものではないことを音楽は思い出させてくれる。音楽によって時間を忘れる瞬間。時間が止まる瞬間。それは演奏する者にとっても、聴く者にとっても、至福の時だ。願わくは自分の設計によってその至福の時を作りたいという、みっともないほど深い欲望に作曲家は突き動かされている。
 
 ストラヴィンスキーはまた「音楽はその本質からして、感情、態度、自然現象ほか、いかなるものも表現しなえない」とも語った。音楽に音楽以外の意味を求めない、とは、もしかしたら難解な印象を与えてしまうかもしれない。また主題を改めて触れたいと思うが、その前に、音程とリズムは我々にとって根源的なものであることを思い出したい。千年二千年はおろか、テナガザルが分岐した2400万年前から続く伝統だ。男子中学生が片想いする女子に向かって言う「おはよう」と、不機嫌な上司がオフィスで部下に向かって言う「おはよう」は、意味の同じ言葉であっても倍音の成分が違う。響きが違う。受け取る側の印象が違う。ヤナーチェクの注目したところだ。我々はそうした響きでコミュニケーションを図っている。だからこそ、100年や200年、あるいは500年という昔に書き残された音楽も、通訳なしに聴くことができる。遠い「あそこ」を近くの「ここ」に、昔の「いま」を今の「いま」にできる。肥後のとなりでバーレーンを聴くこともできる。

 ここに書いてきたようなことをすべて覚える必要はないと思う。この手の面倒くさいことは作曲家や理論家が好きで勝手に覚えているものなのだから、困る場面が訪れたならその都度訊いてくれたら良いと思う。それよりも、わたしたち自身の「現在」において、心地よい音、美しい音、かっこ良い音を注意深く聴き続けていきたい。わたしたちのもとには、わたしたちにとって大切な音楽が、これからもたくさん届く。必ず届く。そのようにできているのである。(終)

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