2013年9月24日火曜日

ラフマニノフとチャイコフスキー

 チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番の編曲が、間もなく終わる。
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 去年のこと。作曲家でありピアノ・デュオ奏者でもある加藤真一郎君から、編曲依頼の電話を受け取った。作曲家からそんな電話が来るとは、よほどのことに違いない。聞けば、ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を、できるだけ少ない人数の編成で、全曲。締め切りは半月後だという。
 「断られたら僕がやるしかないんだけど…」彼はちょうど彼らのデュオのリサイタルの準備に追われている真っ最中だった。おまけにお子さんもまだまだ小さい。こんな仕事をすれば練習する時間などたちまちなくなってしまうだろう。困っている友人は、助けなければならない。
 この話の本来の依頼主は桐朋学園で、僕には桐朋出身の友人がたくさんいるけれども、学校としての桐朋には、まったくと言って良いほど縁がなかった。あちらとしても、僕の名前がいったい何者なのかを知らなかったはずで、後日談にはなるが、学外の僕でもこの仕事が出来るよう、加藤君がいろいろと心を砕いてくれたらしかったことを聞いた。
 僕は、ひとりずつでも演奏可能な弦5部と、クラリネット、ホルンそれぞれ1本ずつで、ラフマニノフを書き換えた(しかし、弦ひとりずつではピアノの音量に太刀打ちできず、本番では14人に増えた)。お世辞にも楽な仕事とは言えなかったが、それに見合う以上の、有り余るほどの教訓と、新しく刺激的な出会いとを得た。学園主催の演奏会で、僕の編曲で弾いた反田恭平君は、その後、日本音楽コンクールの覇者となった。僕は彼の成功を、もちろん我がことのように喜んだが、驚きはしなかった。彼らのリハーサルに編曲者として付き合っていたのだが、僕はただただ座っていれば良く、もう何も言う必要が無かった。「彼は面白いよ」と加藤君が言ったとおりの人間だった。
 その演奏会では、コンクールで3位となる江沢茂敏君とも知り合った。彼もまた実に面白い人間だった。本番を終え、みんなでにぎやかに食事をした。僕の世代は彼らに教える立場となっているが、僕は、いつまでもふらふらしている悪い大人である。だから、等身大の彼らが、いま、何を考えているのかを、たぶん彼らの先生たちよりも、知ったと思う。僕のチャラさも少しは役に立つ。その上で言うのだが、日本の音楽の将来は、きわめて明るいと思う。
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 余談。縁あって知り合った彼らの晴れ舞台を見に行こうと、東京オペラシティに駆けつけた僕だったのだが、チケットはすでに売り切れていて、客席には入れなかった。「日本音楽コンクール」のチケットが売り切れるものだなんて僕は知らなかったのだ。作曲部門はあんなに余っているのに。僕は自分の生活環境の違いに苦笑してしまった。
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 とにかく、今年も僕は編曲を依頼され、それが間もなく仕上がるわけである。
 去年がラフマニノフで、今年がチャイコフスキーと、続けて同じロシア人。しかもどちらも34歳から36歳ごろの作品。現在35歳の僕にとって、これは興味深い比較となった。去年の本番とまったく同じ編成を選んで書いたので、余計に興味深く仕事が出来た。
 チャイコフスキーの1番と言えば、ニコライ・ルビンシテインの批評が良く知られている。とんでもなくひどく言われて、それでもチャイコフスキーは自分を曲げずにこの作品を書ききり、ハンス・フォン・ビューローに送り、「独創的で高貴だ」と評した彼によって初演がなされ、成功し、ルビンシテインも後にこの協奏曲を弾くようになった。有名なエピソードである。
 この手の発言はどのような経緯で残っているか知れない。人間とは昨日のことも演出して喋る動物なのだ。当然、いろいろと尾ひれがついているものだと僕は思っている。もっとも避けるべきは「ルビンシテインはチャイコフスキーの意図や、この作品の真の価値を理解できなかったのだ」というような物言いである。本当にどうでも良い作品ならば、まず「書き直せ」と言うはずもない。適当に褒めて放っておくはずだ。だから、おそらくはこの曲を正しく理解したうえでの、親切心であろう。
 初稿も覗いたが、2,3楽章の変更はほとんど目に入らなかった。ほんとうに細かい部分でいくつか見つけたが、音楽的には、さして重要ではない。それに対して1楽章のピアノパートの大幅な変更。ルビンシテインの批評も、ほとんど1楽章に集中していただろうと思う。それをチャイコフスキー本人も、気にしていたのだろうとも思う。後に、本当に書き直したのであるから。
 2、3楽章には素晴らしい部分がたくさん詰まっていて、編曲しながら何度も感嘆した。だからこそ、僕がルビンシテインの立場だったら、やはり1楽章を書き直すように説得するだろう。誰にも真似できない着こなしで良い服を着ている人が、1楽章では一糸まとわぬ野生の裸なのだ。それをビューローのように讃える自信は、僕には無い。ビューローはよほど分かっていたのか、またはその逆である。
 しかし、嘘でもいいから賛同してほしいという気持ちも、作家にはある。わざわざ悪く言われるために苦労するなんて、割にあわない。チャイコフスキーの気持ちもわかる。心が練られ、整い、引き締められた2、3楽章(最後に近づけば近づくほど、ますます厳しく、アイデアが清冽となる作家も珍しい)と、行き当たりばったりで重箱に詰め込んだ1楽章。どちらがいっそう苦労しているかと言えば、上手く出来たほうではなく、散らかっているほうのはずだから。
 ルビンシテインがどのような部分をどのような意図で指したかはわからない。僕はオーケストレーションにおいて、書き直したほうが良い場所を具体的に指し示すことができる。曲の序奏、間奏、コーダで、同じ人間の仕事とは思えないほど、クオリティが違うのだ。コーダのオーケストレーションなどは特に、端的に言って、粗い。それらは、作品としては欠陥であり、欠点である。
 欠点を指摘して書き直すよう説得したルビンシテインは「正しい」。ただ、チャイコフスキーは、結果として「強い」。音楽史は一点の誤謬もない完璧な作品が名作・傑作として残るのではない。強い作品が残るのである。いくつもの欠点を思いつつも1楽章を編曲し終えたとき、僕の胸には妙なうれしさが込み上げてきた。とにかくやり切った、という感覚だ。それがこの曲の強さであり、その強さが、ピアニストやオーケストラや聴衆の面々の心をとらえて離さないのだと思う。
 勧善懲悪とも言えるドラマが昨今流行ったが、言いたいことを自分の代わりに言ってくれる物語の主人公には、どうしても無視できないカタルシスがある。要するに、そういうことである。
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 チャイコフスキーは、楽器の現実は和声の理屈を超えることを、生理的に理解していたと思われる。日本やアメリカで基礎的な教育を受けてきた演奏家には、(この曲の名曲としての地位を一瞬でも忘れることができるのであれば)奇異に感じる音がいくつかあるはずだ。逆にヨーロッパで訓練してきた演奏家(特に弦楽器)にとっては、どうにも居心地の悪い音があるはずである。その楽器でなければ、その音である必要がない。ホールの空気が鳴ったとき、和声学上の矛盾は相殺され、むしろ効果が生まれる。それらは、そういう音である。
 1楽章のコーダのオーケストレーションが粗いと書いたが、それは粗いのであって、下手なのでも、間違っているのでもない。粗い部分であっても楽器の側の視線からアイデアを着想しており、やはり名手である。それはつまりオーケストラの人数分の耳を彼が同時に持っているということであって、言うなればミヨーの多調性などよりも、よほど多義的の音楽である。このような、習得と運用に非常に手間のかかる作曲の手法は、最近では嫌われている。
 一方、ラフマニノフの耳には、どんな楽器で弾かれても、同じ音高の音は同じ音に聴こえていたはずである。ゆえに別の楽器にその音をそのまま当てはめても彼の音楽は成立する。下絵の鉛筆の線のうえで赤か青かと色を迷う彼には、チャイコフスキーのようなことはできない。非難を承知で偉そうなことを言うが、僕の書いた弦のパートを元の編成でもそのまま使ったほうが響きが良くなるだろうと思える箇所すらある。音が多いことを除けば、ラフマニノフのほうが、仕事は楽だった。
 ただし彼のカデンツの感性は特殊で、すでに皿が揃って乗っているテーブルにすっとクロスを敷いたり、だるま落としのように一段外して別の場所に解決を用意するような芸当は、チャイコフスキーにはできない。他の作曲家で出来る人も、あまり思い浮かばない。独奏のピアノが足場をはずされて手品の美女のように宙に浮いたり、はたまたジェットエンジンで飛ばされたりするのも、ひとえに彼の和声感による。あんな黒々と重い図体の楽器が飛んでしまうのだから、見ているほうは爽快である。一義的なのだが、彼の音楽の特質は、この重力の自在さにあると言える。
 ラフマニノフがチャイコフスキーの1番を心から愛していて、勉強し、自作に取り込んだと思われる箇所は随所にあった。だが、そういう部分は、チャイコフスキーの場合だと無防備で、編曲しやすかったのだが、ラフマニノフの場合だと深い思い入れがこもっていて、困難だった。それは時代の違いゆえの作曲技法の変化という文脈で理解するよりも、もっと適切な表現がある。つまり、人が違うということだ。チャイコフスキーとラフマニノフとでは、人が違う。人が違うということは、音楽を聴く耳が違う。耳が違うということは脳の中身が違う。脳の中身が違うということは、もう何もかも違うのである。人はめいめい勝手に音楽を書き、弾き、聴いているという現実に向かい合える音楽理論なんてものは、実のところ、皆無である。
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 チャイコフスキー35歳に、出来たこと、出来なかったこと。ラフマニノフ35歳に、出来たこと、出来なかったこと。シューベルトならばすでに死んでいる35歳の僕の形容詞は、いまだ「若い」である。
 チャイコフスキーと言えば禿頭と白髪、ラフマニノフと言えば目の下のくまとたるみと皺。そこから人生が逆算されて、すでに出来上がった楽譜から、音楽は分析、演奏される。しかしまだ若かった彼らは、来年も再来年も本当に仕事があるのかどうか、人生設計すらおぼつかないままに、真っ白な五線紙に向かって、等身大の自分の姿の、ありのままを、素直に、必死に、書いている。この視点は、あまり無視されるべきではない。老練だけではなく、若さもまた、この音楽の歴史を担ってきた大切な要素であるという意味で。
 ここに挙げた彼らの姿は、後年の彼らの姿と全くの同一ではない。ある部分は残り、深化され、ある部分は改善され、また別のある部分は、改善されたがゆえに捨てられたか、または失われている。だが、彼らが35歳のときに出来なかったことが明らかになっても、それで彼らに対する敬愛の念は失われはしない。難しい暗算の出来る子が逆上がりが出来ないからといって、それが軽蔑の対象になるものだろうか。むしろ、僕はこういう仕事をするたびに、彼らをよりいっそう心から愛せるようになる。そして勇気をもらうのだ。僕も、僕以外の何者かになる必要なんて、どこにもないのだということを。自分が向かい合っているその時の自分の生活に対し、その時ごとに態度を決め、その時ごとに最善をつくすことだけを考えれば良いのだということを。
 そもそも完璧な芸術なんてものはあり得ないのだが、自らの創作したものが完璧であろうとなかろうと、なりふり構わずその態度を貫徹したという人が、音楽史に燦然と残ってきているという事実もまた、無視されるべきことではない。

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