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【告知】西澤健一 協奏曲作品の夕べ

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2022年11月1日火曜日

変節なき変節、逸脱からの逸脱

 いやしくも今の時代で目立とうと思ったら、いやただ今の人の気に入るものを書こうと思っただけでも、ただまともというだけでは、けっして十分ではない。それなら、ベートーヴェンの生きていたことがまるでむだになってしまうではないか。 (中略)要するに、1790年のソナタ様式は、1840年のそれではない。形式と内容に対する要求はあらゆる点からみて高くなっているのである。(ロベルト・シューマン)

 「1840年のそれ」とはショパンの第2ソナタを指している。1790年は若かりし頃のベートーヴェンが第1ソナタに着手する前、モーツァルトとハイドンが晩年を過ごしている頃だが、単純に50年前のスタイルという意味だろう。今から50年前、1972年と言えば、札幌五輪、沖縄返還、あさま山荘、日中国交正常化、田中角栄内閣発足。初老と言われる年に差し掛かった僕にも記憶のない出来事ばかりだ。1ドルは301円だったらしい。

 この年に発表された歌謡曲なら僕にもわかる。小柳ルミ子『瀬戸の花嫁』、天地真理『ひとりじゃないの』、吉田拓郎『結婚しようよ』。いずれの歌も親しみやすくて良いメロディだが、YOASOBIの今日に書かれるかといえば、書かれない。50年前と今とでは時代が違う。服が違う、髪型が違う、食べ物が違う、物価が違う、金利が違う、紙幣のデザインが違う。人々の価値観が変化して、世に流通する言葉も変わる。この東京で、どこかの島に嫁ぐ想像は難しいけれど、渋谷の街であくびが出るのは良くわかる。

 1970年代の少年少女が抱いていたような花々しい想像上の21世紀は、疫病と戦争によって打ち砕かれた。末法の世である。これから先を想像するにも、あまり明るい材料がない。新しい時代がそれほど魅力的でもなくなってしまった。それでも否応なく時代はアップデートされる。どこかで折り合いをつけなければならない。

 われわれの時代は、ほとんど耐えがたいほど、仮借ない探究を永続してきている時代である。探究の異常な亢進のなかでは、一切の後退性が切り捨てられ、すべての聖域が禁じられる、こうした探究の情熱は伝染し、未知な事象に関する猛烈な関心によって、われわれは未来へと激しい力で投入される…巧緻な計略で、われわれは過去の世界を現在が要求するものに役立てようと必死の努力をはらい陶冶してきたが、もはや目下の絶対的部分になるものを求め、先例のない知覚を鍛えるために記憶のすべてを捨て、想像も及ばぬ領土を発見するために、過去の遺産を放棄するという本質的な試練を避けることはできない。(ピエール・ブーレーズ)

 IRCAM発足時の言を読むに、こんなにも素朴に未来を信じられるとはなんと素晴らしいことだろうと羨望の念を禁じ得ない。こうした未来観は古臭くて理想主義に過ぎると、当の未来に生きる僕たちは言わねばならない。が、抗いがたい甘美な響きがある。手塚治虫の描いた近未来の世界に入り込めるかのような、そんな甘美さだ。

 ところで、戦後前衛音楽の目指した理念とは結局何だったのだろうか。上に引用した文を読めば察せられ、それは初期ブーレーズがアルバン・ベルクを徹底的に非難した理由とも重なる。つまり、音楽からあらゆる前提を捨て去るということ。バッハのコラール『われ満ち足れり』を知らなければ『ヴァイオリン協奏曲』を吟味できないという、前提あるシチュエーションの排除。調性も一個の前提だから(しかも習得にはだいぶ骨の折れる前提だ)当然排除される。個々人の経験の違いによって音楽体験が変わることの否定。何の予備知識もなく理解される音楽。それは書き手の側にも適用される。基本的な楽譜の読み書きができ、パラメータさえ用意できれば、トータル・セリエリズムの音楽は誰にも書き得るし、究極的には誰が書いても同じ結果になる。新しい作曲技法で新規参入を促す。規制緩和である。

 ロマン派の崩壊は調性理論の崩壊などではなく、前提となるイディオムが増殖しすぎたことによる自重の崩壊だ。本当はウェーベルンもその前提のなかにいる。が、彼は、それらのイディオムを、ほとんど文脈が見えなくなるほどに切り詰めたから、後人に道を開き得た。複雑すぎる前提を一から覚えなくても良いのだから朗報だ。いっそのこと、フルクサスのスタイルのような言葉によるインストラクション形式の作品ならば、より簡単に作曲家の新規参入を促せる。楽譜の読み書きすら前提にされないという意味で規制緩和が徹底される。

 戦後前衛音楽の語をこれらだけに代表させるのは雑に過ぎるが、その理念が成就した極点として例に挙げた。例えば、赤瀬川原平の『反芸術アンパン』だったか、彼の作曲した『梱包』がカーネギーホールで演奏される一幕の記述があったと思う。この作品は舞台上で楽器が梱包される様子を鑑賞すれば良く、それ以上の解釈は要らない。書き手だけでなく、演奏者にも聴衆にも、あらゆる前提が必要とされない。誰が書き、誰が演奏し、誰が聴いても、同じ結果になるはずだ。素晴らしきかな戦後民主主義。音楽体験は貴賤高下の出自を問わず、能力の如何を問わず、平等に楽しめるものになったのである。

 が、GoogleやTwitterの今日のように、実際の運営というものは理念だけではどうにもならない場合がある。結局は政府の助けが必要であったり、時には大阪の文楽のように、権力相手に不要な戦いをしなければならなかったりする。いっそう根本的な変化は、時間の経過だ。「過去の遺産を放棄するという本質的な試練」そのものが「過去の遺産」となり、「先例のない知覚」として顕現された音響が「先例」として機能することである。

 大久保賢は『黄昏の調べ 現代音楽の行方(春秋社)』で、現代音楽は一種の古典芸能であると指摘したが、事実として、戦後前衛はすでに「過去の遺産」であり「先例」である。ひとつの前提である。愛好する新しい世代も現れる。演奏不可能な譜面を演奏してしまう者も現れる。その世代の再生産によって、仕方のないこととしてポップ化・エンタメ化は起きる。でなければ「新しい複雑性」の諸作などあり得ない。必ずしも真に先鋭的なものでなくとも「先鋭的らしく聴こえるもの」で条件を満たすようになり、「未聴感らしく聴こえるもの」という概念に対するおおよそのコンセンサスによって評価される。今日、現代音楽の作家たるには、結局のところ本人の才能・能力とイディオムの習得が必要であり、その「形式と内容に対する要求はあらゆる点からみて高くなっているのである。」

 とは言え、これは特に非難することでもない。愛好されるべき音楽のジャンルが増えるのは喜ばしいことだ。好きな音楽をやればよい。が、今日多種多様に分岐された種々の前衛技法は、大なり小なり、そのはじまりの遺伝子を継ぐ。つまり、誰にも平等に同等の音楽体験を与えるのが命題であったということ。その始まりにおいては誰もが理想主義に燃えていたから、音楽はわけのわからないエネルギーに満ちていて、それが何と言っても魅力だ。しかし究極のところでは、書き手と聴き手の人間としての均質さが暗に求められているとも言える点に、時代的・思想的な制約・限界を感じる。多様性の今日、作家の独自性・独創性を担保するには、理念・理想から適度な距離を取り、前提となるイディオムを増殖させ続けなくてはならない。無論それは一つの道だ。それならそうと、結局は伝統主義的な仕草が避けられない事実を受け止め、前提を捨てるという前提を捨て去り、新しさに淫せず、上質な現在を築くべく腹を括ったほうが潔い。戦後前衛のもっとも肝心なところ…人々や未来を素朴に信じる甘美な理想主義そのものを受け継ぎたいなら、やはり「過去の遺産を放棄するという本質的な試練」もまた、新たに起こらねばならないだろう。

 現代音楽が藝術であり、藝術でありうることを誰も知らないということがよくある。現代音楽は苛立たしいと思っているのだ。それはつまり固定化を免れているということだ。こうした観点では何でもありになってしまうという反論がある。実のところ何でもありなのだ。無を規範とした場合に限っては。(ジョン・ケージ)

 自分の話をしよう。幼少期の音楽教育をまったく受けたことがないという意味で、僕は前提のない子だった。夏の夜にはムカデが迷い込む家賃5,000円の貧乏長屋に住んでいたから、中学で吹奏楽部に入るまで生の楽器を見たことがなかった。そんな環境で、どういうわけかアイヴズの第4交響曲を聴き、愚かにも作曲家に憧れ、何を血迷ったか音大に進路を定めた。15歳だった。急いで駆け込んだ近所のピアノ教師にはまともに相手にされなかったけれども、高校の2年間で芸大和声3巻本をこなし、作曲科に行った。前時代であれば入口にすら立てなかった環境の子であるから、戦後民主主義には感謝している。が、当時はそれをありがたくも思わず、ほとんどの時間を食堂で過ごし、山のように与えられる和声課題は先生の好きそうな噂話をしてごまかし、同級生の下宿先では真夜中までフリー・インプロヴィゼーションに興じ、玄関を蹴られ、図書館ではグリゼーのヴィオラ独奏曲『プロローグ』やラッヘンマンのクラリネット協奏曲『アッカント』の楽譜などを借りて読んだ。ショパンやリストしか弾かないピアノ科の学生たちなど心底見下していた。逸脱した学生生活である。

 そんなある日、とあるチェリストの演奏会へ譜めくりのバイトに行った。ベートーヴェンのチェロ・ソナタだった。第4ソナタの最後、快活なハ長調の途中で奇妙な空虚5度が差し込まれる。これに僕は頭を抱えてしまった。ベートーヴェンなんて「過去の遺産」だと思っていたから、それまでせいぜい交響曲くらいしか聴かず、それを大して面白いとも思わず、楽譜といえば受験曲に選んだテンペスト・ソナタくらいしか読んだことが無かった。まったく前提のない若造だったから、第4チェロ・ソナタの空虚5度が、語の全き意味での「未聴感」として機能してしまった。マウスピースを外したクラリネットのブレス・ノイズよりも斬新に響いてしまった。我が人生と定めたはずの現代音楽からも逸脱しようとしていた。

 とは言え、すぐさま作風を変えたわけではない。そんな勇気はとても無かった。が、例えば特殊奏法にしても、音は鳴っても楽器が鳴らず、ミキサーを通した録音では効果的でもホールでは同様の効果が必ずしも得られるとは限らないことを学び、次第に避けるようになった。演奏者の勝手にされるのが結局は気に食わず不確定要素を嫌うようになった。部分的な効果音にしかならない要素を無駄に感じるようになり、聴かせたい部分を聴かせるためにシンプルな素材を選ぶようになった。「過去の遺産を放棄する」という「過去の遺産」を「放棄」し、件の空虚5度で得た「未聴感」の神秘を古典の手法中に探し、そうして逸脱に逸脱を重ねた結果、今や僕は、「この作曲家はミヨーすら勉強していないように見受けられる」と悪態をつかれるほどの、立派な懐古主義者と変節したわけである。

 最近の東京の街角では、少々レトロな色合いの赤い唇をした若い女の子とすれ違う。僕のような世代にとっては少々古臭いようにも感じるのだが、彼女たちにとっては新鮮だ。しかし彼女たちのメイクやファッションが往時とまったく同じかと言えば、もちろん違う。10年代の残り香もあり、まったく新しい工夫もある。時計は巻き戻らないし、覆水は盆に返らない。18・19世紀はすでに遠く、王侯貴族はいないし、阿片は吸わないし、ウィッグはかぶらない。たとえハイドンやモーツァルトを参照するとしても、その聴取体験が19世紀末・20世紀初頭の解釈か、それとも古楽の解釈かによって事情が変わる。後ろ向きの古典主義者として断言するが、そもそも伝統回帰など不可能だ。帰る場所などないのである。

 自作のリハーサルの際、必ずと言って良いほど「本当に合っている音なのかどうかが分からない」と演奏家から尋ねられる。古典派・ロマン派の名曲という名曲をそれこそ何千何万と演奏してきた皆さんだから、身に覚えのない箇所、見慣れない箇所があるのである。そういう箇所こそ、僕が何かしらかの現代音楽作品から得た教訓を無意識のうちに(ときに意識的に)落とし込んでいる部分、調性音楽としては逸脱している部分なのだが、本番を迎える頃にはすっかり磨かれてしまって、本当に誰も気づかない。「譜読みが大変なのに練習するほど普通に聴こえるからコスパが悪い」と、時に愚痴られることもあるけれど、それはご容赦願いたい。少なくとも、僕は自分の経験から、遺伝子は伝えるだけでなく組み替えることも出来るのだと言うことができる。これも一つの道だが唯一の道ではない。実にたくさんの進むべき道がある。でも、人生は短い。進まねばならない道は一つしか選べない。

 このように、僕は逸脱に逸脱を重ねてきたし、ここに記したようなことからもすでに逸脱している気がする。蓋棺事定というが、死後の評価を期待するのでなく、この先どうなるか自分でもよく分からないのだ。突然踵を返すかもしれない。戦後前衛に「伝統回帰」するかもしれない。あまのじゃくということもあるけれど、何より固定化を嫌うのが実験主義者の性根というものだから。そうして今後も逸脱を重ねてしまうだろうにしても、人の道からは逸脱することのないよう心したい。